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サンシティ池田の
あゆみ

サンシティ池田
誕生と再開発の背景について

事業名

池田駅前南地区第一種市街地再開発事業

事業者

地権者が「池田駅前南地区市街地再開発組合」を設立し、都市計画に基づき、再開発事業に取り組みました。

(昭和52年6月準備組合設立、昭和57年3月本組合設立、昭和62年8月組合解散)

契機

この地区は、阪急宝塚線池田駅の南側に位置していましたが、再開発前は低層木造の建物が多く存在し、その大部分は老朽化しており、宅地割も不整形で道路も狭く、その中に、店舗・銀行・事務所・住宅が混在していました。駅前地区として有効な土地利用を図り、道路等公共施設を整備し、商業施設の近代化と良好な住宅を供給し、都市防災に備えることが課題となっていました。

経緯

昭和47年、池田市は『池田駅周辺整備基本計画』で、「阪急宝塚線連続立体交差事業」と「池田駅南北2地区の市街地再開発事業」を位置づけしました。連立連業が昭和52年6月都市計画決定され、同年12月事業認可されるとともに、当南地区においても昭和52年6月準備組合が結成され、一気に事業化に向けて進み始めました。

池田駅をはさんだ北側では、市施行の再開発事業が計画され、着々と実施に向けて進んでおり、当南地区としてもこの事業を完成しなければ駅裏になるという危機感を強くもち、事業に臨んだ結果、昭和54年11月、北・南両再開発事業の都市計画決定がなされ、南地区事業も本格的に取り組むこととなりました。

計画の特徴

  1. 阪急、宝塚線連続立体交差事業と同時施行することにより、駅舎2階と当該建築物2階を幅員8mのぺデストリアンデッキで立体的に連結し、駅利用者の動線を確保しました。
  2. 隣接する池田駅および高架下ショッピングセンターとの有機的つながりをはかるため、 1階にプラザ・サンクンガーデンなどを配置しました。
  3. B街区は、従前の権利者で、A街区ビルになじまない幼稚園・教会・季節営業の飲食店・店舗付住宅などを区画街路を隔てて配置しました。

再開発地区のその後

再開発前の駅裏というイメージから近代的な商業施設に生まれ変わりました。

特に、駅と当該ビルの間の市道阪急南線約110mの区間を、池田市がせせらぎを中心としたコミュニティ道路として整備したため、広場・駅・ビルが一体となり、より相乗効果をあげました。住宅についても2ケ月で完売し、キャンセル待ちも相当な状況でした。

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